真田昌幸の朱印状(真田昌幸が独立を決意したのはいつか?)
大河ドラマ「真田丸」面白いですね。
実は、昌幸は6月10日の時点で、新たに印分「道」の朱印を使用しており、これは織田家に従属する国衆としての立場を逸脱する行動です。
なぜなら一般に戦国大名は、従属する国衆に対して
①朱印状使用許可
②黒印状使用許可
③印判状使用不可(花押のみ可)
の三段階でランク付けしました。
武田時代や信長が生きている時には、昌幸は朱印を用いていなかったことから、6月10日の昌幸の朱印は無断使用ということになります。
時間的に、昌幸の朱印は本能寺の変を聞き直ちに刻ませたものでしょう。この時点で昌幸は織田政権から離叛する決心をしていたのではないでしょうか?
以上が「真田丸」の歴史背景となっている真田家のお話です。