大河ドラマ「真田丸」をより深く理解して楽しむためのブログ

NHK大河ドラマ「真田丸」の歴史背景について、調べて書いていくブログです。                                      (「真田丸」を楽しむのが目的ですのでネタバレはありません。)

甲斐武田家中における、真田氏の微妙な立ち位置。

NHK大河ドラマ真田丸」面白いですね。

 

第4話で草刈正雄さん扮する真田昌幸の台詞が、不思議だったので調べてみました。

「真田は(武田家臣としては)外様でしたゆえ」

 

真田氏は、信濃国小県(今の長野県上田市付近)にある真田郷を拠点とする国衆(=独立した小豪族)でした。

昌幸の父の真田幸綱の時代に、信濃に侵攻してきた甲斐の武田信玄に従属します。
これは、小さな豪族が有力な戦国大名の家臣となって自分の領地を安堵してもらうやり方です。

 

真田氏は甲斐時代からの譜代に比べて家臣となって日が浅く、「真田丸」第1話で武田家重臣たちから

「真田はまだ家臣となって日が浅そうございます。」

と陰口を叩かれています。


しかし真田氏は、武田家中において信濃先方衆*1の有力武将として活躍し、武田二十四将には、真田幸綱と嫡男・信綱が含まれ、次男・昌輝も描かれています。一つの家から親兄弟が武田二十四将に数え上げられた例は他にありません。


三男・昌幸は信玄の近習として仕え「我が両目のごとき」と言わしめるほど重用されています。昌幸は信玄の肝いりで、武田家親類衆の武藤家に養子に入り、武藤喜兵衛と名乗っていました。「真田丸」第4話で、家康から「武藤殿」と呼ばれたのは、このためです。

真田昌幸が真田性に戻った話は、別の記事に書く予定です。)

 

真田昌幸は武藤家の当主として武田氏縁戚の立場を持ち、先方衆(=外様の国衆)でありながら一方で譜代家臣として処遇されていました。小県と武田家中をつなぐ役目を持ち、地元の国衆から一頭地抜き出て小県を取りまとめる立場になって行く理由ではないかと考えられます。


以上が「真田丸」の歴史背景となっている真田家のお話です。

 

*1:「先方衆」の「先方」とはかっての敵方と言う意味で、武田家に置いて外様国衆を呼ぶ際に用いられています。