真田昌幸を支えた叔父・矢沢頼綱
第5話で、織田方に岩櫃城・沼田城を明け渡す事になった真田昌幸が、綾田俊樹さん扮する矢沢頼綱に深々と頭を下げている様子が印象的でした。何故なのか調べてみました。
矢沢頼綱は昌幸の父・真田幸隆の弟で昌幸にとっては叔父にあたります。若い頃出家し京都鞍馬寺の僧となるが程なく郷里に戻って還俗しました。その後は兄の幸隆に従い、武田家中の信濃先方衆として活躍しました。矢沢家の養子に入り矢沢頼綱と名乗っています。
幸隆と、その嫡男だった信綱の死後は、真田家を継いだ甥の昌幸に従いました。武田勝頼の重臣として甲府に詰めることが多かった昌幸の代わりに、吾妻郡の経営や沼田領侵攻を指揮しています。天正8年(1580年)5月に沼田城攻略に成功し、その功績により沼田城代に任命されています。
武田氏滅亡後、織田に従属するため明け渡す事になった沼田城は、頼綱が先頭に立って苦労して獲得した城でした。それを取り上げる事になったために、昌幸は頼綱に深々と謝っていたのです。
城を明け渡すよう昌幸に頼まれた頼綱は、
「あれが、上野で最も大事な城だと、信長が認めたということ。むしろ鼻が高いわ。」
と言って、昌幸に従っています。
昌幸にとって、頼りになる良い叔父さんですね。
以上が大河ドラマ「真田丸」の歴史背景となっている真田家のお話です。