大河ドラマ「真田丸」をより深く理解して楽しむためのブログ

NHK大河ドラマ「真田丸」の歴史背景について、調べて書いていくブログです。                                      (「真田丸」を楽しむのが目的ですのでネタバレはありません。)

真田昌幸と武藤喜兵衛は同一人物。

大河ドラマ真田丸」面白いですね。

 

ドラマ前半の主役は間違いなく主人公の父、草刈正雄さん扮する真田昌幸です。

 

昌幸は、真田幸隆の三男として、天文16年(1547年)に生まれました。「真田丸」前半は、天正10年(1582年)の話ですから、ドラマの中で昌幸は35歳と言うことになります。当時としては十分老齢でしょう。

 

第4話で、昌幸は徳川家康から

「武藤殿。」

と呼ばれています。これは何故でしょうか? 調べてみました。

 

昌幸は幼少のころ、真田家から人質として甲斐武田家へ送られました。人質時代は武田信玄の近習となり、武田家中を支える武将となるよう信玄の薫陶を受けて成長しました。
(第2話で武田家滅亡のさいに、信玄の亡霊が昌幸の前に現れたのはそのためでしょう。)

 

成人した頃に、信玄の肝いりで武田氏縁戚の武藤家の養子に入りました。武藤喜兵衛に名前を変えて武藤家の家督を継いでいます。

 

元亀3年(1572年)三方ヶ原の戦いで、上洛を目指す武田信玄に家康が蹴散らされた時に、昌幸は武藤喜兵衛として戦いに加わっていました。

真田丸」第4話で家康は、

「武藤と言う恐ろしい侍大将がいた。」

と、言っていますが、その当時、武藤喜兵衛は足軽大将くらいだったはずで、侍大将と言うのは家康のお世辞でしょうか?

 

その後、天正3年(1575年)長篠の戦い武田勝頼が織田・徳川連合軍に敗れた時に、長男・信綱と次兄・昌輝が討死しました。そのため、昌幸は真田氏に復して真田家の家督を継いで、真田昌幸となったのです。

 

以上が「真田丸」の歴史背景となっている真田家のお話です。