小山田信茂は処刑され、真田昌幸が許されたのは 何故か?
第2話で温水洋一さん扮する小山田信茂が、織田信長の嫡男・信忠から武田氏への不忠を咎められ処刑される場面が印象に残っています。一方、真田昌幸は織田への従属を選択して信長に拝謁した結果、許されました。
小山田信茂は処刑され、真田昌幸が織田氏に従属を許されたのは何故でしょうか?
それは、二人の立場が違っていたからだと考えられます。小山田信茂は、甲斐武田氏の家臣で、武田家中最強と言われた騎馬軍団を率いる譜代家老衆でした。いわゆる重臣の立場です。それが一転、主君を裏切ったため織田方の逆鱗に触れたのではないでしょうか?
一方、真田昌幸は信濃小県の国衆で、武田家中では外様(先方衆)です。国衆とは、ミニ版の戦国大名とも言える存在です。自分の領地の自治権を持ち、領土を安堵してくれる有力な戦国大名に従っていました。
戦国大名を親会社とすると、国衆は独立性の高い子会社社長にあたります。自分の領土を守るのが第一で、そのために主家を変えることも多々ありました。
しかし、真田昌幸は武田家中で有力な家臣として頭角を表し、外様でありながら同時に、ご譜代同様の扱いとなっていました。
昌幸が武田氏滅亡後、信長に従属するため黒葦毛の馬を送ったさい、信長から戻ってきた礼状には「左那田弾正」殿と書かれていました。当て字です。信長が真田昌幸なる人物を詳しく知らなかった可能性があります。もしかすると、これが幸いしたのではないでしょうか?
以上が「真田丸」の歴史背景となっている真田家のお話です。