大河ドラマ「真田丸」をより深く理解して楽しむためのブログ

NHK大河ドラマ「真田丸」の歴史背景について、調べて書いていくブログです。                                      (「真田丸」を楽しむのが目的ですのでネタバレはありません。)

真田家の領地の変遷

大河ドラマ「真田丸」面白いですね。

 

真田家の領地について調べてみました。

 

戦国時代初期の真田は元々、現在の真田郷(現在の長野県上田市真田町)を本拠とする小規模な勢力(国衆)でした。が、一時、領地を失います。

 

大河ドラマ真田丸」主人公・信繁の祖父・真田幸綱は、信濃国に侵攻してきた甲斐武田氏の家来になり、武田氏の後押しで失っていた真田の領地を回復し、真田本城(別名・松尾城)を築きます。この当時の真田氏の勢力範囲は小県の一部です。

 

その後、武田氏上野国吾妻郡(現在の群馬県吾妻郡)侵攻に伴い、永禄7年(1564年)頃、真田幸綱は吾妻郡の中心にある岩櫃城に入城し、居城としたものと思われます。

 

幸綱、および嫡男の真田信綱の死後、真田昌幸が真田家の家督をついで岩櫃城を受け継ぎました。昌幸は北条氏武田氏の対立の中で、叔父の矢沢頼綱に指揮を取らせて上野国沼田(現在の群馬県沼田市)攻略を進め、天正8年(1580年)8月に沼田城を攻略します。

 

これにより、真田氏は本拠地の信濃国小県(の一部)に加えて、上野国吾妻郡と沼田のある上野国利根郡を勢力範囲としました。大河ドラマ真田丸」が始まった時、真田氏は信濃国上野国を結ぶ上州街道を抑えていたのです。

 

以上が「真田丸」の歴史背景となっている真田家のお話です。